凡人日日是好日

僕は普通の人である。

ピロリ菌と一緒

僕のお腹にはピロリ菌が居る。

会社で検診を受けてみたら、案の定居るらしいことがわかった。

そう。僕は知っていたのだ。たぶん居ると。

逆流性食道炎とか診断されたこともあるが、決定的だったのは

母親が「私居たから、アンタも居るわよ」

の一言だ。

どういう意味だ?と最初は思った。遺伝か?と。

しかし、当然ながらピロリ菌は遺伝しない。

ネットで調べたら、保菌者からの唾液などを介して伝染るらしく

母親から子供へは伝染る事が多いらしい。

どんなところで、親子の繋がりを発揮するんだ…と思った。

しかし、存在する以上、除菌しなければいけないらしく

「胃ガンとかになっちゃうわよ。心配。心配。」と母親が言った。

伝染しといて、その言い方は凄い。しかも、とっくの昔に自分は除菌済み。

何度も会っているのに、ウチにも子供いるのに、なぜ今?

まぁ、こういう人だとは理解している。

昔、デビューしたミスターチルドレンの話をした時に

「なんだ。冷蔵庫の新製品じゃないの?」

と言った母親だ。

確かに冷蔵庫はいつもパンパンに詰まっていたから

デッカいチルド室は切実な問題だったかもしれない。

BUMP OF CHICKENは鶏料理だと思われるだろうと思った事は

憶えている。

とにかく、除菌しなければならない。

しかし、まず胃カメラが恐い。

そして薬で除菌中は酒もタバコも禁止らしい。

無理だ。

平坦な道を惰性で走ってるような僕の人生は、ブレーキとなる

禁止行為が苦手だ。

日々「酒を飲むことは仕事だ」と自分に言い聞かせている。

困って悩んでいると、だんだん共同生活者のピロリ菌が愛おしく

なってくる。

なんだかんだで数十年一緒に歩んで来たわけで、あの失恋した日や

あの嬉しかった日も一緒に居たんだな。とか思い始める。

そんな葛藤を繰り返し、春先の健康診断が

近付いてくる。

僕は闘えるのだろうか?

胃カメラなんて異物を飲み込み、共同生活してきた「ピロリ菌」を

排除し、どうなるんだろう?聖人にでもなれるのだろうか?

聖人になったら、くだらない悩みや、通り過ぎる美女に反応したりも

無くなるのだろうか…

でも、やるしかない。

腹は決めた。

決意した時のタバコは美味い。

 

 

 

伝説の男

僕の働いている会社は老舗で入社して数年は良かった。

しかし、その後から現在まで激動の時期を過ごしている。

親会社が変わったことで「改革だ!」となり、大手企業を辞めた人達をどんどん採用した。

大手で部長とか課長とかしていた人達が、いきなり上層部でやってきて、僕らの上司になるなんてことが10年くらい続いている。

最初の頃は本当に大変で、大手企業を辞めた人達はプライドが高く、辞めてきたわりには「大手企業はこうだった。君たちはダメだ」となる。

改革を起こそうとする人に限って、過去を全否定するものだから、それまで過ごしてきた社員には辛い時期だった。

不思議なことにそういう人達はまとまってやってくる。

某企業の部長が転職して上層部に入ると、その下で働いてた人達が続々とやってくる。そして上手くいかなくなると一斉にいなくなる。そして新しい人がまた来る。その下で働いていた人達もまたやってくる。というグルグルとしたローテーションが何週か回って2019年を迎えた。

2019年は新たな波がやってきた。僕らも経験値が上がっているので、今回も手慣れた感じで考えていたが、今回はいつもと違った。

本当に仕事が出来る人達が来たのだ。

しかし、僕らは慣れていない。本当に仕事が出来る上層部に。

そんな中、僕の上司も変わって50代の転職者が現れた。最初はどんな人かと探ってみたが、過去の事例よりは改善され、ちょっとプライドは高いが仕事はしっかりやる人っぽいことはわかった。

最大の懸念事項は「話が長いこと」。

これが長い。トイレを我慢して会話してはいけないほどだ。

客先でも長い。昼以降だと相手が居眠りしてしまうほどに。

僕も何度か意識が飛んだ。

しかし、上司は前職の大手企業では「伝説の男」という噂を聞いた。

気になった僕は聞き込みを行ったが、「話が長い」という情報が多い…

でも、たくさんの案件を受注したような話も聞いた。

全部ひっくるめると「話が長く、唐突にジョークを繰り出す伝説の男」らしい。

なるほど。仕事じゃないのか。

伝説とは、いとも容易く生まれる。

まさか、どこかで僕の伝説もあるのだろうか?

酒に酔っ払って、京浜東北線で自分のカバンの中に向かって吐いたことがある。

その際、向かいの席の女性は衝撃的な目をしていた。

なんて言われているのだろう?

語られる人間にはなりたくない。

僕はそう思っているけど、世間的にはマイノリティー側だ。

自伝に飢えている人は多い…

新任の上司も「私、詳しいですよ。」とか「こんなことしました。」

みたいなコメントが多い。

僕も「スゴイっすね」とか言ってるから、罪はあるのか。

人に「スゴイ」とか言われたら、気をつけよう。

営業人生

最近よく「かれこれ〇〇年だなぁ」などと思う。

年齢を重ねた証拠なのか、過去を振り返る機会が増えた。

「死が近いのか?」と不安になるほどだ。

日々、仕事をしているので、仕事をしている時に仕事について考えることが多い。

僕は営業をしている。企業に勤め、背広を着て、携帯電話で話しながら、外を歩いている姿は、人から見ても一目瞭然のセールスマンだ。

かれこれ20年近く営業をしているわけだが、自己啓発本に書かれているようなトップセールスマンってわけでもなく、仕事が出来なくて上司に罵られるようなこともない平凡な営業マンだ。

一言で営業と言っても、営業という職種は取り扱う品物によって、業界や販売方法が、ずいぶんと変わるので、それぞれの業界に合わせた多種多様な知識や能力が必要となるわけだが、結局、「売る」という行為を直接的に外部に行う人を一括りで「営業」と呼ばれる。

営業というのはあまり良いイメージがないようで、若い人が「営業は向いていない」とか言って辞めたり、技術系の人から「営業は誰でも出来る」とか、いろいろ言われる。

僕は正直言って、営業職は嫌いではない。

もちろん大変なこともあるし、毎日を同じように過ごせる仕事と比べて、ドタバタすることが多い。ノルマという天敵もいる。

しかし、外に出られるので出張したり、いろいろなところに行くことで、僕のグルメバリエーションも増える。

お客さんと話すのも、楽しいことが多いような気がする。

慣れてしまっているので、今は終日社内にいるのが辛いほどだ。

そもそも、向いているとか向いていないと言うのも、どうかと思う。僕は営業が嫌いではないが、向いていると思ったことはあんまりない。

仕事なのだから、向けばいいだけで、それが営業なら営業の仮面をつけるだけだと思っている。

同じく、「営業は誰でも出来る」というのも不思議だ。

誰でも出来るに決まっている。サッカーだってそうだ。誰でも出来る。サッカーやっている少年が言う「オレはサッカー出来るよ」とメッシがいう「オレはサッカー出来るよ」は同じ言葉だが、意味が違う。

誰でも出来るのと、どこまで出来るかは別の話だ。

僕は「営業なんて誰でも出来る」という人は、それを口に出してしまうレベルなので、あまり営業出来ないだろうなと思う。少なくとも、僕が上司だったら客先に出すのは怖い。

 そんな僕に、後輩と同行するというイベントが月に一回発生するようになった。

後輩は社会人3年目の25歳の女性だ。本社から出張で来るのだが、彼女はとてもやる気で、精力的に仕事をこなす。社内でも「最近の子」というジャンルに属する彼女は、とびきり異分子の僕との同行が嫌いではないらしい。

仕事は彼女のサポートをしながら、道中なんでもない会話で盛り上がりながら進んでいく。彼女は宿泊出張で来ているので、夜は一緒に飲みに行くのだけど、酔って仕事の話もよくする。

その場で「営業とは?」みたいな質問を受ける。3年目の彼女からしたら聞いてみたいことなのか、それとも本社でその質問をすると喜ぶ先輩が多いからなのかわからない。

でも、純粋な子なので、おそらく本当に参考にすべく聞いてきているなと思ったので、これは「何か良いこと言わなきゃ」と思って追い込まれる。

しかし、僕の営業人生なんて特に強調すべき部分もなく、人に言えるほどの金言は本当に無い。頭の中の引き出しを開けてみても、これといった事が無く、答えに窮してしまう。

 「まぁ・・・いろんな人と飲んで、仕事して、失敗して、また飲んで忘れる」

という謎の輪廻を彼女に提示してみた。

なんと彼女はそれをメモにとっていた。

僕は不安になった。なにか大変な妄言を後世に残したのではないかと。

最近の子は大変優秀だ。僕の若い頃に比べたら雲泥の差だ。教育が違ったのだろうか。

何よりも素直だ。

しかし、僕は彼女の真面目さに、その澄んだ清らかな水に恐怖を覚える。

所詮、ロスジェネ世代と言われる僕は、濁った水でしか生活できないのだろう。

鯉みたいなものだ。

 

 

4人席のバタフライ。

僕が乗っている電車では、椅子の配置が山手線のような縦一列ではなく、二人掛けが横2列ある。

ちょうど新幹線のグリーン車のような並びで、真ん中の通路は狭い。

この椅子は動くようになっていて、新幹線だと回転して4人席になったりするが、電車では椅子の背もたれ部分が持ち上がって、下の座る部分をまたいで反対側に行く。

折り返しで運転する電車の場合、乗った際に背もたれ部分を動かして、進行方向に向かって座るように乗客が調整する。

列の一番端っこの2人席は動かないので、乗降口に一番近い席は必然的に4人席となるような仕組みだ。

そう。一番端っこの席が4人席なのだ。だから乗客は2人席を争い、2人席が無い時に止む無く4人席に座る。4人席にも座れなかったら、立つしかないのだ。

その日、僕は勝者だった。

なぜなら当駅発の誰も乗っていない電車に一番に乗り込んだから。

僕は4人席のすぐ後ろの2人席をキープした。寝ようが読書しようが、自由だ。

その後、たくさんの客が乗ってきて、僕の隣は「すみません。」と言って、おばちゃんが座った。数十分の短い帰路を共にする相席者だ。

僕は読書をはじめ、おばちゃんはゲームアプリ「ツムツム」に夢中になっていた。

十分程経ったら、3つ目の駅に到着し、たくさんの乗客が降り、新しい乗客が乗ってきた。僕もおばちゃんも降りる場所では無かったので、お互いに変わらず、平和に一時を過ごしていた。

しかし、事件が起きた。

突然、目の前にあった前の席の背もたれが動き、4人席になったのだ。

どうやら、僕とおばちゃんが座っている2人席の前にある4人席の乗客が降りて、誰もいなくなっていたようだ。そして背もたれが動かせる状況だった。

いやいや、だからと言って4人席になる理由がない。なぜだ。

犯人は若い男性。眼鏡をかけ、ちょっと癖毛のあどけない感じだ。

彼はおもむろに僕の前に座った。イヤホンで音楽を聴いている。

4人席になってしまったので、僕の正面に向い合せで座る形となった。

なぜだ。なぜ僕とおばちゃんの平和を微妙にかき乱してまで、僕の正面に座るのだろう。知り合いか?いや知らない。

おばちゃんの知り合いか?それなら、おばちゃんの前に座るだろう。

前の4人席は空いていたのだから、そのまま座ればいいではないか。

これはきっと、周辺の席に座っていた乗客全員が思ったことだ。

一瞬冷静さを失い、その後、状況を把握するのに十秒程度かかったので、おばちゃんが椅子が動いた際に「ワォ!」と言ったのを思い出した。

おばちゃんは冷静さを取り戻したのか、動揺を出すまいと「ツムツム」の世界に戻っている。

周りから見ると、僕が目の前の青年と親しいのではないか?だから4人席にしたのだと想像されてもおかしくない。

肝心の彼を僕はまじまじと確認してみた。

明らかに動揺していた。

僕と目を合わさないようにしている。目が泳いでいるのだ。

こんなに泳いでいる人を見たことがない。もうバタフライしているような目だ。

僕は理解した。彼は失敗したのだ。

なぜかはわからないが彼は席を動かしてしまった。

動かしてしまったから座らなければならなかったのだ。そう。僕の前に。

そして目がバタフライ。

周辺も「なぜこの場所が4人席になったのか?」という妙な雰囲気だった。

仕方ないなぁ。気を付けてよ。と思い、とりあえず僕は読書に戻った。

次の駅でおばちゃんが降りた。「ツムツム」はハイスコアとはならなかっただろう。

そこで、なんと犯人のバタフライ青年も降りていった。

いつもなら2人席の場所が、謎の4人席になっている場所に僕一人が残されたのだ。

まるでこれでは、僕が謎の4人席を作ったみたいではないか。

待ってくれ。バタフライ。

そんなに短い乗車なのに、なぜ椅子を動かし、謎の空間を生み出し。そして先住民の僕を置いていくのだ。

まるで僕が寂しがりのサラリーマンみたいじゃないか。

おばちゃんとバタフライが降りていった駅で、新しい乗客が「ん?」という顔して、謎の4人席に佇む僕の横や前に座ってくる。

僕は少し恥ずかしくて、遠くの景色をみて、そっと目を閉じて、しばらく寝たフリをして過ごした。

いつか、あの青年に聞いてみたい。

いいんだ。謝罪はいらない。

 

 

僕とカープ。

今日からプロ野球2019年シーズンが開幕する。

僕はプロ野球が大好きだ。広島出身なので、一族もれなくカープファンだ。

最近は熱烈なカープファンが急増したので、どれだけファンか?など居酒屋で比べている人達も目にするが、特に主張するでもない僕は、静かに見守っている。

僕は子供の頃、大して野球に興味が無かった。

カープの勝利よりも戦隊ヒーローの勝利を願う普通の子供で、父が一喜一憂するのを不思議に見ていた。

小学生のある日、家族で夕食を食べていると、父と高校生の兄が野球の話で場を盛り上げて、最後に「今週末から少年野球をがんばれ」と言われた。

いきなりの強硬ドラフト指名だ。

本当に興味が無かったが、同級生もチームにいたので、行ってみようかな。程度の軽い気持ちで参加したのは覚えている。

しかし、昭和も終わりかけの当時は少年野球も根性論で、見た目が恐いコーチに怒鳴られ、罵られながら唯一の休日である日曜日を失った。

当時のプロ野球選手は、パンチパーマ、金のネックレス、セカンドバックという3種の神器で、ほとんどヤクザと同じ出で立ちだった。

恐いコーチも同じ格好。ついでに父も同じ。

「ああ、野球ってそういうことか」

と、幼い僕は緩やかに野球を勘違いしていった。

結局、少年野球は足のケガで辞めたが、勘違いしながらも野球に興味が湧いた僕は、カープ少年となり、野球中継を見るようになっていた。

それなりの距離感で長く野球に関心があったのは、子供の頃にもらった「炎のストッパー 津田選手のサインボール」のおかげだと思う。

そもそも僕はコレクターのように何かを集めたりするタイプではない。

風の谷のナウシカ 永久保存版」と自分で書いてシールを貼ったビデオテープに、「トゥナイト」という、ちょっとHな深夜番組をうっかり上書きしてまうほど、物に執着しない少年だったので、サインボールは唯一の宝物だと思う。

ちなみに「風の谷のナウシカ」だと思って、ビデオを友達に貸したら、真面目な友達が性に目覚める一端を担ってしまった。

最近は公認のユニフォームやシャツを着ている人が多い。というか、着ていない人があまりいない。着ていないとちょっと疎外感を感じるほどに。

以前、日曜日に横浜スタジアムで応援した時、関東のカープファンは熱狂的で、みんな赤いユニフォームや限定のシャツを着て応援していた。

そこに普通のTシャツ、サンダルスタイルの僕が現れると、半径5mくらいは不穏な空気を滲ませた。「この人はカープファンなのだろうか?」と。

20分くらいすると、痺れを切らしたとなりのおじさんが

カープファンなの?」

と確認してきたので

「そうです。」

と回答したら、ユニフォームとか着ていないのに?みたいな空気になった。

察した僕は「広島出身なので」と追加情報を提供し、出身高校も追加した。

この出身高校は効いた。僕の母校は野球強豪校なのだ。

雰囲気は一変し、おじさんや、僕の周辺の関東カープファンが

「やはり本場の人は違う」とか「生活の一部がカープということだね」など

私服で普通に現れた理由を作られ、となりのおじさんからビールまで奢ってもらった。

「本場の方から見てどうですか?最近は」

など聞かれ、ちょっと偉そうに喋ってみたら

「いやぁ、素晴らしい。良かった。本場の強豪校出身の方に会えるとは嬉しい」

とおじさんは喜んでいた。

僕は言えなかった。「テニス部ですけど」の一言が。

 

 

 

モルボルとの闘い。

会社が引っ越した。

と言っても、一拠点である我が事務所が本社の意向によって、ちょっと近所の綺麗な場所に移っただけなので、日中の生活はほとんど変わらない。

レンタルオフィスで狭かった事務所から、近所のタワーマンション内のオフィスへと移ったので、取引先などは「すごいね!」と言ってくれる。

確かに狭かったし、外なんて見えなかった旧オフィスより、高層マンション11階の景色を見ながら仕事が出来る環境なので、多少は嬉しいような気もする。

僕がコーヒー片手に窓から景色を見ている姿を、100m反対側から見た人は成功者だと思うかもしれない。少なくとも失敗している人だとは思わないだろう。

しかし、そんな映像だけでは伝わらないトラブルがある。

臭いのだ。

我が拠点は現在2名体制。今度、新たに上司が広島に着任し3名体制となる。それもあっての移転なのだが、まず、現在一緒に仕事をしている人が臭い。

このおじちゃんは元上司で、定年を超えて再雇用中の身だ。

体臭もあるとは思うが、それを飛び越えて息が臭い。ため息を定期的に吐くのだが、そのため息を向かいのデスクで浴びるのは「ため息ハラスメント」だ。

このおじちゃんが臭いのは関係者の間では有名で、なんの臭いか解らないが、おそらく動物とかが臭うと「シッ!」とか言って警戒しそうな臭いである。

昔、RPGゲームのファイナルファンタジーで「モルボル」という敵が出てきて、その敵が放つ「くさい息」という攻撃に苦しんだことがある。

きっと、そのキャラクターを考えた人も、今の僕のように会社で臭い息に苦しんでいたから思いついたに違いない。

その人に敬意を払って、僕はおじちゃんを「モルボル」と心の中で呼んでいる。

本人も多少なりとは自覚しているのか、たまにポケットからフリスクとか出てくる。

しかし、ミントパワーでは太刀打ち出来ないのか、吸収されてしまうのか、「臭い」に「清涼感」がプラスされて、「臭スッキリ」という新ジャンルが飛び出す。

「臭い」と思った後、「臭かった」になるまでがコンマ数秒ほど短縮されて、キレが出る。

僕はノートパソコンのモニター部分の角度を調整しながら、正面からの「ため息」被弾を防ぐ日々。

こんなささやかな戦いを持つ僕に新たな敵が現れた。

新しい事務所の臭いだ。

 新オフィスの高層マンションは有名な建築物だが、ちょっと古い。築十数年だ。

室内には洗面所やトイレ、シンクなど水回りがあって、そこの穴からゴミのような臭いが発生している。これは賃貸でよくある話で、しばらく誰もいない部屋からは多少なりとも臭うのは仕方ないと思っている。

問題はその臭いと、「モルボル」の臭いがユニゾンで襲ってくることだ。

それぞれが個性を主張しながらも、僕の鼻孔へやってくる。おじちゃんの調子によってはハーモニーとなる場合や、コーラスになったり、様々なパターンがあることを発見した。

今日はそこにフリスクが加わり、もう何が何だかわからない。混沌だ。

きっとこのままでは、僕の嗅覚は終わる。たぶん味覚とか他の五感も影響を受け、発狂してしまうかもしれない。

切実な問題を解決すべく、僕は助けを求めた。

「ファブリーズ」「重曹」「置くだけ芳香剤」の三銃士に。そして革命は起きた。

重曹が水場の穴を。ファブリーズが室内の様々な場所を。置くだけ芳香剤がおじちゃんと僕の間に壁を作った。科学の勝利である。

何とか生きていけると思った。買ってきたので会社の経費にしたいとも思った。

しかし、「モルボル」も強い。人恋しいのか喋りかけてくる回数が増えた。手数が多い。本人に向かってファブリーズ噴射は出来ない。何だかわからないが、人として。

置くだけ芳香剤が気のせいか、みるみる減っている。まるで僕へのカウントダウンだ。

戦いは続くのだ。負けられない。

 

天才少女

天才とは何か…。
一芸に秀でた場合によく使われている言葉だか
天才っぽく振る舞う人しか見たことない。
本物とは何だ?と今まで考えることもなく生きてきた。
しかし、出会ってしまった。しかも娘だ。
僕には子供が3人いる。迫り来る少子化問題を解決しようとか
結婚した時に「3人は子供ほしいね」なんて会話したわけでもない。
何だか3人いる。
家族で買い物した時に、見知らぬおばちゃんが誉めてくれたりもする。
長男から、しばらくたって長女が生まれ、またしばらくたって次男という
オリンピックを挟む安定したペースだ。
娘は満6歳で、最強の武器はルックス。
周りが騒ぐので、本人も自覚している。
5歳になるくらいまでは、僕も女の子って可愛いなと思うくらいで
何も感じていなかった。
しかし最近になって、その独自の世界観の波に襲われる。

娘は謎の工作物を作る。ハサミとセロハンテープを駆使して
段ボールやチラシを別の存在に変えていく様は錬金術のようだ。
昨日、完成したのは「マクドナルドのカップアイス」だ。
そもそも、マクドナルドにカップアイスが無いような気もする。
マックフルーリーなら知ってるが、カップアイスは31アイスじゃ無かったか?
しかし、天才は気にしない。
僕を呼び寄せ、客を演じさせる。
「ご注文は?」
と聞かれ、ポテトとハンバーガーを頼むと
「なぜ?」
前代未聞である。
マクドナルドでハンバーガーとポテトを注文して理由を問われたことはない。
「アイスですよね?」
天才は容赦ない。
「じゃあ、アイスをお願いします」
だったら、最初からそう言ってよと言わんばかりの流し目をされ
なぜかお持ち帰りだったらしく、袋を手渡される。
出てきたカップは態度に反比例し、ちゃんと6歳児の工作物レベルだった。
「いくらですか?」
驚くなかれ、天才が僕に聞いたのだ。
動揺しつつも、100円と言ってみる。
「いいじゃん」
お褒めにあずかって光栄だ。
最後に手紙をもらった。「後でこっそり見てね」と言われ、一時間後
一人の時に手紙を開けた。
手紙には見たことがない可愛らしいクマのぬいぐるみが書いてあった。
当然、意味はわからない。
後で娘に「見た?」と聞かれ、クマのぬいぐるみだったねと伝えたら
「ぬいぐるみじゃなくて、本物よ」
気をつけてと心配された。
僕は凡人だ。マクドナルドや熊にも偏見があるのかも知れない。
僕の世界では理解できないことを、さも当たり前に振る舞う愛娘は
やはり天才なのだ。