凡人日日是好日

僕は普通の人である。

営業人生

最近よく「かれこれ〇〇年だなぁ」などと思う。

年齢を重ねた証拠なのか、過去を振り返る機会が増えた。

「死が近いのか?」と不安になるほどだ。

日々、仕事をしているので、仕事をしている時に仕事について考えることが多い。

僕は営業をしている。企業に勤め、背広を着て、携帯電話で話しながら、外を歩いている姿は、人から見ても一目瞭然のセールスマンだ。

かれこれ20年近く営業をしているわけだが、自己啓発本に書かれているようなトップセールスマンってわけでもなく、仕事が出来なくて上司に罵られるようなこともない平凡な営業マンだ。

一言で営業と言っても、営業という職種は取り扱う品物によって、業界や販売方法が、ずいぶんと変わるので、それぞれの業界に合わせた多種多様な知識や能力が必要となるわけだが、結局、「売る」という行為を直接的に外部に行う人を一括りで「営業」と呼ばれる。

営業というのはあまり良いイメージがないようで、若い人が「営業は向いていない」とか言って辞めたり、技術系の人から「営業は誰でも出来る」とか、いろいろ言われる。

僕は正直言って、営業職は嫌いではない。

もちろん大変なこともあるし、毎日を同じように過ごせる仕事と比べて、ドタバタすることが多い。ノルマという天敵もいる。

しかし、外に出られるので出張したり、いろいろなところに行くことで、僕のグルメバリエーションも増える。

お客さんと話すのも、楽しいことが多いような気がする。

慣れてしまっているので、今は終日社内にいるのが辛いほどだ。

そもそも、向いているとか向いていないと言うのも、どうかと思う。僕は営業が嫌いではないが、向いていると思ったことはあんまりない。

仕事なのだから、向けばいいだけで、それが営業なら営業の仮面をつけるだけだと思っている。

同じく、「営業は誰でも出来る」というのも不思議だ。

誰でも出来るに決まっている。サッカーだってそうだ。誰でも出来る。サッカーやっている少年が言う「オレはサッカー出来るよ」とメッシがいう「オレはサッカー出来るよ」は同じ言葉だが、意味が違う。

誰でも出来るのと、どこまで出来るかは別の話だ。

僕は「営業なんて誰でも出来る」という人は、それを口に出してしまうレベルなので、あまり営業出来ないだろうなと思う。少なくとも、僕が上司だったら客先に出すのは怖い。

 そんな僕に、後輩と同行するというイベントが月に一回発生するようになった。

後輩は社会人3年目の25歳の女性だ。本社から出張で来るのだが、彼女はとてもやる気で、精力的に仕事をこなす。社内でも「最近の子」というジャンルに属する彼女は、とびきり異分子の僕との同行が嫌いではないらしい。

仕事は彼女のサポートをしながら、道中なんでもない会話で盛り上がりながら進んでいく。彼女は宿泊出張で来ているので、夜は一緒に飲みに行くのだけど、酔って仕事の話もよくする。

その場で「営業とは?」みたいな質問を受ける。3年目の彼女からしたら聞いてみたいことなのか、それとも本社でその質問をすると喜ぶ先輩が多いからなのかわからない。

でも、純粋な子なので、おそらく本当に参考にすべく聞いてきているなと思ったので、これは「何か良いこと言わなきゃ」と思って追い込まれる。

しかし、僕の営業人生なんて特に強調すべき部分もなく、人に言えるほどの金言は本当に無い。頭の中の引き出しを開けてみても、これといった事が無く、答えに窮してしまう。

 「まぁ・・・いろんな人と飲んで、仕事して、失敗して、また飲んで忘れる」

という謎の輪廻を彼女に提示してみた。

なんと彼女はそれをメモにとっていた。

僕は不安になった。なにか大変な妄言を後世に残したのではないかと。

最近の子は大変優秀だ。僕の若い頃に比べたら雲泥の差だ。教育が違ったのだろうか。

何よりも素直だ。

しかし、僕は彼女の真面目さに、その澄んだ清らかな水に恐怖を覚える。

所詮、ロスジェネ世代と言われる僕は、濁った水でしか生活できないのだろう。

鯉みたいなものだ。