モルボルとの闘い。
会社が引っ越した。
と言っても、一拠点である我が事務所が本社の意向によって、ちょっと近所の綺麗な場所に移っただけなので、日中の生活はほとんど変わらない。
レンタルオフィスで狭かった事務所から、近所のタワーマンション内のオフィスへと移ったので、取引先などは「すごいね!」と言ってくれる。
確かに狭かったし、外なんて見えなかった旧オフィスより、高層マンション11階の景色を見ながら仕事が出来る環境なので、多少は嬉しいような気もする。
僕がコーヒー片手に窓から景色を見ている姿を、100m反対側から見た人は成功者だと思うかもしれない。少なくとも失敗している人だとは思わないだろう。
しかし、そんな映像だけでは伝わらないトラブルがある。
臭いのだ。
我が拠点は現在2名体制。今度、新たに上司が広島に着任し3名体制となる。それもあっての移転なのだが、まず、現在一緒に仕事をしている人が臭い。
このおじちゃんは元上司で、定年を超えて再雇用中の身だ。
体臭もあるとは思うが、それを飛び越えて息が臭い。ため息を定期的に吐くのだが、そのため息を向かいのデスクで浴びるのは「ため息ハラスメント」だ。
このおじちゃんが臭いのは関係者の間では有名で、なんの臭いか解らないが、おそらく動物とかが臭うと「シッ!」とか言って警戒しそうな臭いである。
昔、RPGゲームのファイナルファンタジーで「モルボル」という敵が出てきて、その敵が放つ「くさい息」という攻撃に苦しんだことがある。
きっと、そのキャラクターを考えた人も、今の僕のように会社で臭い息に苦しんでいたから思いついたに違いない。
その人に敬意を払って、僕はおじちゃんを「モルボル」と心の中で呼んでいる。
本人も多少なりとは自覚しているのか、たまにポケットからフリスクとか出てくる。
しかし、ミントパワーでは太刀打ち出来ないのか、吸収されてしまうのか、「臭い」に「清涼感」がプラスされて、「臭スッキリ」という新ジャンルが飛び出す。
「臭い」と思った後、「臭かった」になるまでがコンマ数秒ほど短縮されて、キレが出る。
僕はノートパソコンのモニター部分の角度を調整しながら、正面からの「ため息」被弾を防ぐ日々。
こんなささやかな戦いを持つ僕に新たな敵が現れた。
新しい事務所の臭いだ。
新オフィスの高層マンションは有名な建築物だが、ちょっと古い。築十数年だ。
室内には洗面所やトイレ、シンクなど水回りがあって、そこの穴からゴミのような臭いが発生している。これは賃貸でよくある話で、しばらく誰もいない部屋からは多少なりとも臭うのは仕方ないと思っている。
問題はその臭いと、「モルボル」の臭いがユニゾンで襲ってくることだ。
それぞれが個性を主張しながらも、僕の鼻孔へやってくる。おじちゃんの調子によってはハーモニーとなる場合や、コーラスになったり、様々なパターンがあることを発見した。
今日はそこにフリスクが加わり、もう何が何だかわからない。混沌だ。
きっとこのままでは、僕の嗅覚は終わる。たぶん味覚とか他の五感も影響を受け、発狂してしまうかもしれない。
切実な問題を解決すべく、僕は助けを求めた。
「ファブリーズ」「重曹」「置くだけ芳香剤」の三銃士に。そして革命は起きた。
重曹が水場の穴を。ファブリーズが室内の様々な場所を。置くだけ芳香剤がおじちゃんと僕の間に壁を作った。科学の勝利である。
何とか生きていけると思った。買ってきたので会社の経費にしたいとも思った。
しかし、「モルボル」も強い。人恋しいのか喋りかけてくる回数が増えた。手数が多い。本人に向かってファブリーズ噴射は出来ない。何だかわからないが、人として。
置くだけ芳香剤が気のせいか、みるみる減っている。まるで僕へのカウントダウンだ。
戦いは続くのだ。負けられない。